この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。
ヨシュア記 1:8
前回の記事で、私たちは聖書を黙想すべきだとお話ししました。そこで今日は、もう少し詳しく、聖書が「御言葉を黙想しなさい」と言うときにそれが何を意味しているのかを説明したいと思います。そのために、ヨシュア記1章8節を見ていきましょう。これは、神がイスラエルの新しい指導者となったヨシュアに、その立場でどうすれば成功できるかを語って励ます、よく知られた箇所です。その前の節で、神はモーセと共にいたようにヨシュアと共にいると告げ、イスラエルが約束の地に入るという約束が今も有効であることを確認されます。神は彼を見放さず、見捨てないので、だれも彼に立ち向かうことはできないとヨシュアに思い起こさせることによって、そうされるのです。しかし、この成功を得るためにヨシュアがしなければならないことがまだいくつかありました。成功の約束は無条件ではなく、ヨシュアは神の三つの指示に従わなければなりませんでした。強く雄々しくあること、律法に従うこと、そして御言葉を黙想することです。その三つ目が今日の記事のテーマです。背景を確認したところで、ヨシュア記1章8節に入っていきましょう。
この律法の書を…
まず律法(ヘブライ語でtôrâh)についてお話ししましょう。私たちは法律と聞くと、ふつう秩序を保つために政府が定めた、厳格で非人格的な規則の集まりを思い浮かべます。それも律法の一面かもしれませんが、律法にはもっと多くの意味があります。ヘブライ語で律法はyârâhという言葉から来ており、これには手で指し示す/導くという意味合いがあります。私たちは律法と聞くと規律を思い浮かべますが、ヘブライ人は律法と聞くと、神の御手による導きを思い浮かべたのです。神の御手からの教え? 一般的な(そして間違った)律法主義的な理解よりも、ずっとわくわくする、愛に満ちたものに聞こえますね!
…あなたの口から離すことなく…
次に、神はヨシュアに、律法を口から離してはならないと言われました。一見すると、神がヨシュアに「律法について話してはいけない、ただひたすら黙想しなさい」と言っているように見えるかもしれません。しかし、意味はまったくその逆です! 神は、ヨシュアがいつも律法を口にしているべきだと言っておられるのです。彼は絶えず律法について語り、朝起きて最初に考えることも、夜寝床に就くときに最後に考えることも律法であるべきでした。いやはや、これは私たちクリスチャンがなかなかできないことです。個人的にも、これはまだ取り組む必要があることだと自覚しています。目の前の一時的なことに気を取られて、神の御手からの教えを後回しにしてしまうのは、本当にたやすいことです。だから、ここで立ち止まるわけにはいきません。どうすればそれを正せるのかを学ぶために、先に進まなければなりません!
…昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない…
ここでいよいよ黙想にたどり着きました。(皆さん、着きましたよ!) では、この興味深く、しばしば耳慣れない響きのある言葉を見ていきましょう。「黙想する」という言葉は、ヘブライ語のhagahから来ていて、その意味は……うめく、うなる、つぶやく、です。え、どういうことでしょう? 黙想とは、ひとりきりの場所で静かに、もしかすると「オーム」と唱えたりしながらするものではないのでしょうか? なぜうなったり、うめいたり、つぶやいたりするのでしょうか? それには理由があるのです! たとえとして、あなたが難しい問題を解かなければならなかった時に戻ってみましょう。それは教室だったかもしれませんし、作業現場だったかもしれませんし、家で家具をどう配置しようかと考えていた時だったかもしれません。ただ、この記事では教室のたとえでいきたいと思います。
では、高校の数学の授業に戻り、難しい問題を解こうとしているとしましょう。繰り上がりを忘れず、方程式の両辺のつり合いを保ち、途中の計算をすべて書かなければなりません。頑張ってみたものの、壁にぶつかってしまいました。方程式のつり合いが崩れてしまったのです。どこかの過程で間違えたのです。では、戻って直してみましょう。どうするでしょうか? もう一度読み直し、自分に向かってつぶやきます。よし、5に12を掛けた。60と書いた。うん、合ってる。うーん……ここで両辺を2で割ったところは? よし、これも合ってる! うわぁ! いったい何なんだ!? xで割ったところも大丈夫! ぐぬぬぬ! ……何が原因だろう――あ、電卓のボタンを押し間違えただけだ……これで正しい答えが出た! さて、現代に戻りましょう。今私たちが何をしたか、お気づきでしょうか? 今したことは、聖書的な黙想を例えで示したことなのです。もう一度読み直してみると、「黙想する」というヘブライ語の特徴に気づくでしょう。第一に、私たちはつぶやきました。問題全体をよりはっきり理解するために、自分に語りかけながら問題を解く過程を見直しました。これは、私たちが神の言葉を思い巡らすべきやり方に似ています。私たちは一日を通して学んだ聖句を思い返し、実際的な適用を見落としていないか確かめるべきなのです。第二に、私たちはうなり、うめきました。問題を思い巡らしていると、「うーん……」と言ったり、いらいらすると「ぐぬぬ!」や「うわぁ!」と言ったりして、その思い巡らしが外に表れるのは自然なことでした。
ですから、神がヨシュアに言っておられるのはこういうことです。「ヨシュアよ、わたしはあなたに、わたしの律法、わたしの手による教えを受け取り、昼も夜もそれを自分につぶやき、どうすればそれをもっと深く理解し、あなたの生活に適用できるかを思い巡らしてほしい。答えを求めてわたしの言葉をもっと深く掘り下げるように、『うーん』という瞬間を持ってほしい。もしかすると、あなたの罪の性質をかき乱して『ぐぬぬ!』と言わせることもあるだろうし、理解しがたくて『うわぁ!』と言わせることもあるだろう。しかし最後には、あなたはわたしの言葉をもっと深く理解し、それをあなたの生活にふさわしく適用できるようになる。わが子よ、こうしてあなたは成功するのだ」
…そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。
「黙想する」という言葉のより深い意味を発見したことは、私を本当に励まし、クリスチャンとしての歩みにおいて成長する助けとなりました。クリスチャンとして成長するために自分が何をすべきかを、よりよく理解させてくれました。御言葉の黙想は、デボーションの場所でだけするものではなく、私の生き方そのものであるべきでした。ひとりで学び、一日を通してそれが自分にどう当てはまるかをつぶやき、思い巡らし、いつでもだれかと分かち合えるように口にしておくべきだったのです。そうすれば、その人も私も、神の御手からの教えによって益を受けることができます。これが聖書的な黙想です。ひとりきりの静かな時間だけではなく、絶えず聖書を思い巡らし、日々の発見を他の人と分かち合いたいと願うことなのです。
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